桶狭間のある名古屋を、もっと楽しむ。

楽マップ

桶狭間の戦いから450年余、尾張(名古屋)は観光・グルメ・エンターテイメントの街へと変貌していた。織田信長や今川義元が想像すらできなかった今の桶狭間を、マンガ「いくさの子 ―織田三郎信長伝―」を読み、コミックスを手にとって思いを馳せながら巡るべし!史跡巡りの後は、「ひつまぶし」をはじめとする「なごやめし」を満喫して名古屋を満喫だ!

※この地図は簡略化しているため、正確な場所とは位置が異なる場合があります。

名古屋市街地地図

巡って楽しむ

写真提供:名古屋市緑区桶狭間古戦場保存会

1.桶狭間古戦場公園名古屋市緑区桶狭間北三丁目

桶狭間の戦いの中心地で田楽坪と呼ばれ、『信長公記』(しんちょうこうき)にある今川義元最期の地といわれる。織田信長と今川義元両雄の銅像が立つほか、義元の墓碑や当日の地形を模したジオラマなどがある。

写真:桶狭間古戦場公園

2.長福寺名古屋市緑区桶狭間

天文年間創建の浄土宗寺院。今川義元の首検証に立ち会った茶坊主林阿彌(りんあみ)が、後に持参したといわれる阿弥陀如来本尊や、今川義元と家臣松井宗信(まついむねのぶ)の木造が安置されている。桶狭間の戦い以前から続く、枯れない泉もある隠れたパワースポット。

写真:長福寺

3.高根山名古屋市緑区桶狭間39

標高54.5mで、幕山(まくやま)一帯に布陣した今川方の松井宗信隊が、鳴海方面(中島砦、善照寺砦)の織田軍の静動を監視する先鋒隊を置いたところである。また、織田信長がおけはざま山に進軍する際に、佐々政次・千秋季忠を主力とする別働隊とこの辺りで激戦を繰り広げたという。

写真:高根山

4.桶狭間神明社名古屋市緑区桶狭間神明

祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)。起源は、桶狭間村開村の祖である南朝の落武者によって奉祀されたともいわれる。宝物に、桶狭間の戦いの時に今川の家臣、瀬名氏俊が戦勝祈願して奉献した酒桶がある(非公開)。

写真:桶狭間神明社

5.善照寺砦跡名古屋市緑区鳴海町字砦

今川方の鳴海城に対し築かれた、織田方の三つの砦の一つ。織田信長は、丹下砦よりここへ移動して兵を集結させ、桶狭間へ出陣した。現在は見晴らしのよい公園となり、鳴海絞開祖の碑も建つ。

写真:善照寺砦跡

6.釜ヶ谷名古屋市緑区武路町

織田軍が中島砦からこの釜ケ谷に着いた時は激しい雷雨で、この付近に潜んで突撃の機を窺(うかが)ったと言われる。そして、雷雨の上がるのを見て、おけはざま山に陣取る今川本陣を急襲し、劇的な勝利をおさめたとされる。また、戦いの後、織田信長はこの辺りに全軍を集め、勝鬨(かちどき)を上げ帰還したと伝わっている。

写真:釜ヶ谷

7.七ツ塚名古屋市緑区桶狭間北二丁目

勝利を収めた信長は、戦死者を埋葬するよう村人に命じた。この山裾に7つの穴を掘り塚を作ったと伝わる。以後、七ツ塚、又は石塚と称され、これを取り壊すものは「たたり」があるといわれ、懇(ねんご)ろに供養してきた。桶狭間の戦いでの戦死者は、両軍合わせ3,000〜3,500人といわれる。

写真:七ツ塚

食して楽しむ

提供:なごやめし普及促進協議会

なごやめしの文化も実は信長が…!?

なごやめし普及促進協議会ロゴマーク

ひつまぶし発祥

誕生は明治後期の名古屋と伝えられる。料亭でうなぎを出前する際、人数分をまとめておひつに入れ、刻んだ蒲焼をご飯の上にまぶして届けていた。その後、会席のシメに出すようになり、さっぱりと食べられるよう薬味やお茶を添えるようになった。

写真:ひつまぶし

味噌煮込みうどん発祥

小麦で練った生地などを鍋に放り込んで煮る、江戸時代から各地にある素朴な家庭料理が原型。太くて固い麺を1人前用の土鍋で煮る現在のスタイルは、名古屋・大須にあった「山本屋」が大正期に開発したとされる。

写真:味噌煮込みうどん

味噌カツ発祥

戦後の屋台でお客がどて煮の鍋に串カツをどぼんとつけて食べたのが始まりと言われる。ほどなくトンカツをメインとする食堂がこれを採り入れて一般に広まった。

写真:みそかつ

桶狭間へのアクセスマップ

自動車でのアクセス
公共交通機関:地下鉄、名鉄線、JR在来線、市営バス各名古屋から幕山までの経路

東海道新幹線(東京、大阪方面)、近鉄(大阪なんば)からお越しの方は、JR名古屋駅から名鉄名古屋駅に乗り換えてください。

名古屋市バスの詳細案内は、市バス・地下鉄テレホンセンターへお問い合わせください。

Tel: 052-522-0111