織田信長と今川義元が雌雄を決した運命の地。桶狭間は何処にあるのか?

名古屋市

人口
2,295,328人(平成28年4月1日現在)
面積
326.43km2

1889(明治22)年に市制が施行された面積約326km2、人口約229万人の中部圏における中核都市。1900年以上の歴史を持つ熱田神宮をはじめ、多くの歴史的資源やなごやめしといった特色ある文化を有しており、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という戦国時代の三英傑ゆかりの地でもある。

織田家とのつながりは、1532(天文元)年に織田信秀が今川氏豊を追放し、那古野城を居城としたときから始まる。信秀は2歳の信長に那古野城を与えたほか、信長は古渡城において13歳で元服し15歳で濃姫と結婚したと伝えられていることから、名古屋は「信長が青春時代を過ごした地」だと言える。

また、市内には信長が父・信秀の葬儀の際、仏前に抹香を投げつけた逸話で有名な万松寺、信長の弟・信行が父・信秀の菩提を弔うために建立した桃巌寺、日本史上名高い「桶狭間の戦い」の古戦場や戦勝のお礼に熱田神宮に寄進した「信長塀」など、数々の信長ゆかりの史跡がある。

桶狭間は、愛知県名古屋市にある。

写真:『尾州桶狭間合戦』歌川豊宣 画
『尾州桶狭間合戦』歌川豊宣 画

「桶狭間の戦い」と言えば、日本人なら誰でもが聞き覚えのある歴史上有名な戦いである。しかし、桶狭間は何処にあるのか?と問われ、即座に正確な場所を答えられる人はそう多くないのではないか。それは、「狭間」が「谷」を意味するように、漠然と山深い地を連想してしまうからかもしれない。

しかし、実際には名古屋市の東南部に位置し、平地とゆるやかな丘陵地で形成される名古屋市緑区に「桶狭間」がある。事実、緑区には「桶狭間」「桶狭間山の上」など9つの行政上の地名があり、その他史跡、神社、公園など、「桶狭間」の名を冠したものが数多く存在している。

なお、「桶狭間」という地名は、室町時代にその発祥をみる「尾張国知多郡桶廻間村」を起源としている。また、今川義元最期の地とも言われる「桶狭間古戦場公園」には、今川義元の墓碑のほか、義元の馬を繋いだと言われ、触れると熱病に罹るとの伝承が残る「ねずの木」などがある。

隣接する豊明市には、「桶狭間古戦場伝説地」がある。

写真:織田信長・今川義元銅像
『桶狭間古戦場公園』田楽坪(名古屋市緑区)

一方、名古屋市緑区の東に隣接する豊明市に、「桶狭間古戦場伝説地」(昭和12年国指定史跡)が存在している。ここには、明治時代にできた今川義元の墓のほか、義元やその重臣が戦死した場所として江戸時代に建てられた7つの石碑なども並んでいる。

しかし、今川義元の首を取った場所、すなわち桶狭間の主戦場が現在の「何処」であるかについては諸説あり、両古戦場を訪れる人々の想像を掻き立てる源泉となっている。