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ブラタモリ 名古屋編

最終更新日:2021年10月27日(水)

ブラタモリ 名古屋編

2017年にNHK総合「ブラタモリ」で3回にわたって名古屋が紹介されました。
第1弾は、2017年6月10日に放送された「ブラタモリ #75 名古屋 ~尾張名古屋は 家康でもつ?~」。
この「名古屋編」では、家康が築いた名古屋城や城下町はどんなものだったのか。そこにはどんな思いがあったのかを探りました。

◆尾張名古屋は家康でもつ? ~名古屋城~

名古屋城全景 出典:Network2010
名古屋城全景 出典:Network2010
名古屋城
名古屋城をつくったのは、「徳川家康」。徳川家康は名古屋どころか、尾張でもなく三河の出身です。

◆本丸御殿

焼失前の名古屋城と本丸御殿 出典:Network2010
焼失前の名古屋城と本丸御殿 出典:Network2010
現在の本丸御殿
現在の本丸御殿
かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。
1930年(昭和5)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20)5月、空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまいました。
本丸御殿は、10年におよぶ復元工事を経て、2018年(平成30)6月に全面公開され、対面所や下御膳所まで見ることができるようになりました。

搦手からめて馬出うまだしとは?

馬出うまだし」とは、人や馬の出入りを敵に知られないよう、城門の前に作られた空間のことです。この「馬出」があることで城門からの出撃が簡単にできるようになり、攻撃力が高まります。
番組では特別な許可をいただき、撮影当時は修復中だった堀の中へ。
そこには、名古屋城の「強さ」の秘密がたくさんありました。

搦手馬出

馬出うまだし」とは、人や馬の出入りを敵に知られないよう、城門の前に作られた空間のことです。この「馬出」があることで城門からの出撃が簡単にできるようになり、攻撃力が高まります。
番組では特別な許可をいただき、撮影当時は修復中だった堀の中へ。
そこには、名古屋城の「強さ」の秘密がたくさんありました。

◆石垣のひみつ

名古屋城の石垣は、東側は「花崗岩」、西側は「砂岩」で造られています。
同じ堀なのに、なぜ使われている石の種類が違うのか。
それは、堀の東西の石垣を全国の大名が造ったからです。
名古屋城は、家康が全国の大名に命令し、土木工事させる「天下普請」で築かれたお城なのです。

名古屋城の石垣

名古屋城の石垣は、東側は「花崗岩」、西側は「砂岩」で造られています。
同じ堀なのに、なぜ使われている石の種類が違うのか。
それは、堀の東西の石垣を全国の大名が造ったからです。
名古屋城は、家康が全国の大名に命令し、土木工事させる「天下普請」で築かれたお城なのです。

◆ここから見ると!!ビューポイント

名古屋城の北側にある「名城公園」からも番組で歩いた堀が望めます。
日没から午後11時まで天守閣のライトアップが行われ、昼間とは違う名古屋城を見ることができます。

ライトアップについて
時間:日没〜午後11時まで
※ 毎月8日は環境デーのため午後9時30分まで
※ ライトダウンキャンペーンにより早めに消灯することがあります

>>名城公園詳細

名城公園から見た名古屋城

名古屋城の北側にある「名城公園」からも番組で歩いた堀が望めます。
日没から午後11時まで天守閣のライトアップが行われ、昼間とは違う名古屋城を見ることができます。

ライトアップについて
時間:日没〜午後11時まで
※ 毎月8日は環境デーのため午後9時30分まで
※ ライトダウンキャンペーンにより早めに消灯することがあります

>>名城公園詳細

◆徳川家康はどのように平和にしようとしたのか ~城下町~

家康は、戦争後の経済による繁栄を考えて、城下町を作りました。

名古屋城

家康は、戦争後の経済による繁栄を考えて、城下町を作りました。

◆徳川家康がつくった城下町とは

呉服町通
江戸時代の名古屋城図 出典:Network2010
江戸時代の名古屋城図 出典:Network2010
現在の名古屋城地図 出典:Network2010
現在の名古屋城地図 出典:Network2010
名古屋城から南に少し歩くと美しい碁盤の目になっている街並みがあります。
この城下町も名古屋城と同じ1610年に作られています。徳川家康は、町を碁盤の目にすることで多くの商人が店を開けるようにし、名古屋を「商業の町」として反映させようとしていました。
家康がこの名古屋の台地上に城を築く以前は、この辺りの中心は清洲でしたが、家康は清洲から5万人もの人たちを、城下町ごと移転させました。これを「清洲越」といいます。
その際に、清洲の町名ごと移したため、現在でも「呉服町(ごふくちょう)」や「七間町(しちけんちょう)」など当時の痕跡が残る地名があります。

◆おさらい:今回タモリさんが歩いた場所の地図

名古屋編では、下記を散策しました。
①名古屋城正門
②名古屋城本丸御殿・搦手馬出
③名古屋市中区丸の内三丁目(杉ノ町通り)
ブラタモリ 名古屋編
皆さんも、タモリさんの歩いた道をブラブラしてみてはいかがでしょうか。

>>その他にもタモリさんに訪れてほしい名古屋城周辺スポットを紹介します。

ブラタモリ in 名古屋の第2弾・第3弾はこちらの特集で紹介しています!

画像をクリックすると特集記事をご覧いただけます。

 ブラタモリ 第二弾 名古屋・熱田編
 ブラタモリ 第2弾 名古屋・熱田編

 ブラタモリものづくり名古屋編
 ブラタモリ 第3弾 ものづくり名古屋編

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