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三英傑のゆかりの地

三英傑のゆかりの地 名古屋 SAMURAI CITY NAGOYA

日本の真ん中にある愛知県は、信長・秀吉・家康の三英傑を生んだ武将のふるさと。戦国乱世を駆け抜け、天下泰平を夢見た武将たちは、ここ名古屋で花開き、日本の歴史を大きく動かしました。家康の命で整備された名古屋城と城下町は、尾張徳川家の治世によって維持され、現在の名古屋の礎を築いています。

三英傑とともにめぐる「なごや武将観光」

織田信長

天文3(1534)年に生まれた織田信長は、幼少期を那古野城で過ごし「尾張のうつけ」と呼ばれていたようです。尾張統一の後、27歳の時に桶狭間の戦いで今川義元を破り、天下への足掛かりをつかむと、足利義昭との蜜月関係から一転、義昭を追放し室町幕府を滅亡させます。しかし天下統一を目前にして、本能寺の変で明智光秀に討たれてしまいました。

豊臣秀吉

天文6(1537)年ごろ、中村の地(現在の名古屋市中村区)に誕生した木下藤吉郎は、織田信長に仕えると、機知に富んだ仕事ぶりで頭角を現します。信長の死後は明智光秀や柴田勝家との争いに打ち勝ち、実質的な後継者として君臨。その強大な支配力を全国へ及ぼすため、関白として太閤検地や刀狩りなどの国政を行いました。

徳川家康

天文11(1542)年、岡崎で出生した家康は、少年期は名古屋と静岡で人質として過ごしました。秀吉の死後は、「天下分け目の決戦」と称される関ヶ原の戦いで東軍の将として石田三成率いる西軍を下し、江戸幕府を開きます。征夷大将軍となった家康は、名古屋城をはじめ多くの築城や東海道などの道路整備にも尽力し、天下泰平の世を作りました。

織田信長の「合戦(いくさ)たび」
「桶狭間の戦い」で大逆転勝利を導いた信長の謎に迫る!

1560年(永禄3年)におきた「桶狭間の戦い」は、織田信長が天下統一の足掛かりをつかんだ重要な戦い。織田軍は、多勢に無勢の圧倒的不利な状況の中、突然の豪雨で崩れた今川軍を奇襲して大逆転勝利を収めました。桶狭間の謎はその地形にあり。ぜひ現地で確かめて。

豊臣秀吉&加藤清正の「開運たび」
英雄生誕のパワースポットで出世運・受験運をGET!

名古屋駅からほど近い中村(現在の名古屋市中村区)で生まれたのが、豊臣秀吉と加藤清正。才気あふれるふたりは立身出世の象徴であり、出世運や受験運にご利益あり!最強のWパワーを授かれる場所ですよ。

徳川家康の「城下町(まち)たび」
名古屋城下町は京都がモデル!?家康のはんなり都市計画

1610年(慶長15年)に西の砦として築かれた名古屋城。清須城を廃止して、建物のすべてを名古屋城下に大移動させたのが「清須越し」です。新しい城下町は京都の碁盤割をモデルに都市計画が行われ、現在も町並の片隅に江戸の風情が残っています。
 

尾張藩・尾張徳川家の絢爛豪華な世界

華麗なる一族・尾張徳川家の至宝を探す

御三家の筆頭格である尾張徳川家は、諸大名の中でも最高の格式を持つ家柄。7代藩主・宗春の時代には、8代将軍吉宗がかかげる質素倹約政策に反して、積極的な開放政策をとり、尾張に活気を取り戻しました。名古屋では、尾張徳川家に関するお宝が多数見られますよ。
 

名古屋おもてなし武将隊®とは

2009年11月「名古屋開府400年」のPR大使として、6人の武将と4人の陣笠で結成。日本人ならではの“おもてなしの心”とSAMURAIカルチャーを世界に発信するために、名古屋城を拠点にさまざまな活動を行っている。メンバーは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、加藤清正、前田慶次という日本を代表する有名武将6名。さらに陣笠(足軽)4名が脇を固める。全国の武将隊の先駆けとして、3年連続「全国武将隊天下一決定戦」で優勝。“天下一”の称号を持つ。甲冑ダンス、寸劇、口上、和太鼓演奏などの「おもてなし演武」で、見るものすべてを戦国時代へと誘う。

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