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内藤多仲・名古屋テレビ塔物語

最終更新日:2022年6月17日(金)

復興から栄光のシンボルへ
内藤多仲・名古屋テレビ塔物語

開業以来初となる全体改修工事を経て、2020年9月18日(金)に「MIRAI TOWER」としてリニューアルオープンした「名古屋テレビ塔」。
長く愛されてきた名古屋テレビ塔ですが、どのようにして戦後の名古屋の復興のシンボルとなったのか、その歴史をご紹介します。

※2021年5月1日より「名古屋テレビ塔」は「中部電力 MIRAI TOWER」に名称変更しました。

名古屋テレビ塔の設計者・内藤多仲

1953(昭和28)年、テレビ放送が開始されたのを機に、名古屋では全国に先駆け、集約電波塔「名古屋テレビ塔」が建設されました。この設計を任されたのが、「耐震構造の父」「塔博士」と呼ばれた内藤多仲(ないとう・たちゅう)です。
名古屋テレビ塔 昔の写真

耐震構造の理論はある偶然から生まれた

明治時代、文明開化の風に乗り、建築界にも石やレンガを使った新しい西洋の建築技術がもたらされました。しかし、それは地震に対しては、極めてもろいものでした。そのため世界有数の地震国・日本では、長らく高層建築は不可能だと考えられていました。
早稲田大学で教鞭をとっていた内藤多仲は、念願のアメリカ留学を果たし、最先端の力学を学びましたが、日本の気象に合った建築にどう生かしていくかについて答えが見つからないまま、留学期間が終了してしまいます。心にモヤモヤを抱えながらの帰途、さらに悪いことに、嵐が起こり、船ごと激しい波にもまれてしまいます。
しかし、運命はまだ多仲の手の中にありました。荒れた船内の中で、アメリカから持ち込んだひとつのトランクだけが無傷であることに気づいた多仲は、この状況から、間仕切りのふた、そして外側から縛った縄がトランクを強くしたのではないか、と気づきます。そこから柱と梁という骨組だけではなく間仕切りを入れてエネルギーを均衡させる「耐震壁構造」の理論を完成させました。
この理論を現実の建造物に当てはめたのが、歌舞伎座や日本興業銀行本店です。その後、東京を襲った関東大震災によって彼の理論は実証され、名声は不動のものとなりました。
名古屋テレビ塔 昔の写真
名古屋テレビ塔 昔の写真

日本初の集約電波塔に挑戦

1945(昭和20)年、名古屋市は「戦後復興計画」をどこよりも早く立ち上げました。そこには名古屋市街地を走る100m道路とともに、テレビ電波の送信鉄塔であり観光の目玉となるタワーの建設計画もありました。打診を受けた多仲は、この前例のない集約電波塔建設の難しさを直感したといいます。
難航したのは、まず「集約アンテナ」でした。細いアンテナをいかに丈夫に安全に組み立てるか、その工法について何度も設計をやり直したそうです。また、都市計画の中で、今後地下鉄を通すことが決まっていたため、それを前提とした緻密な設計が求められました。 ほかにも様々な壁はありましたが、最終的にエッフェル塔を彷彿とさせる機能美へと昇華させたのは、やはり塔博士・多仲の不屈の情熱と手腕があってこそでしょう。

名古屋テレビ塔 昔の写真

1945(昭和20)年、名古屋市は「戦後復興計画」をどこよりも早く立ち上げました。そこには名古屋市街地を走る100m道路とともに、テレビ電波の送信鉄塔であり観光の目玉となるタワーの建設計画もありました。打診を受けた多仲は、この前例のない集約電波塔建設の難しさを直感したといいます。
難航したのは、まず「集約アンテナ」でした。細いアンテナをいかに丈夫に安全に組み立てるか、その工法について何度も設計をやり直したそうです。また、都市計画の中で、今後地下鉄を通すことが決まっていたため、それを前提とした緻密な設計が求められました。 ほかにも様々な壁はありましたが、最終的にエッフェル塔を彷彿とさせる機能美へと昇華させたのは、やはり塔博士・多仲の不屈の情熱と手腕があってこそでしょう。

名古屋テレビ塔が新しいビジネスモデルのお手本に

工事が始まると現場では、鉄骨を載せたトラックや資材を運ぶ馬車が往来し、職人たちが人力で基礎部分を掘り下げ、塔の高いところでは、リベット打ちの「ダッダッダッ」という音が響きわたりました。工事は9か月で終了しましたが、多仲は、何度も名古屋を訪れ、塔の様子を確認しにきていたそうです。
新しいビジネスモデルを成功させた名古屋は、全国から注目の的。名古屋に続け、とばかりに、多仲のもとには、大阪通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーなど様々なタワーの依頼が舞い込んできました。多仲はタワー設計の第一人者として、いくつになっても常に挑戦し続けました。
名古屋テレビ塔 工事現場を訪れる人々
名古屋テレビ塔 工事現場を訪れる人々
▶ 足場や安全帯もない状態で、とび職人たちは鉄骨を移動して作業をしました。丸太と鉄骨だけの不安定な足場で風にあおられつつ作業する姿は、多くの人の注目を浴びました。
名古屋テレビ塔 工事の様子
名古屋テレビ塔 工事の様子
▶ 昔の名古屋テレビ塔は、橋や飛行機など強度が求められる建造物と同じく、「リベット接合」が採用されていました。これは、リベットと呼ばれる出っ張りを押し込み、つぶすことで接合するものです。工事は5人1組で行われ、リベットを打ち込む激しい音や光が響き渡っていたといいます。
ちなみに、塔といえば東京タワーなどのように赤い塗装が普通。しかし名古屋テレビ塔は、開業以来、銀色です。
その理由は、リベット打ちに加え、高所では銀色のボルトを使っていたから。その色に合わせて塔全体の塗装もシルバーにしたそうです。
しかし、1960(昭和35)年の航空法改正によって、地上60m以上の塔や煙突は赤白塗装が義務づけられました。
当然、名古屋テレビ塔も何度も塗り替えを指導されましたが、神野金之助社長は、法改正前に完成した建物であったことを理由に、塗り替えに反対。最上部に航空障害灯をつけることでなんとか許可が下り、銀色の輝きを今に残すことができました。
名古屋テレビ塔 開業当時の長蛇の列
名古屋テレビ塔 開業当時の長蛇の列
▶ 1954(昭和29)年、名古屋テレビ塔の一般公開の日。塔の下には、長蛇の列ができました。

名古屋テレビ塔 第一号の結婚式

▶ 1955(昭和30)年に行われた第一号の結婚式。サロンで披露宴が行なわれ、食事はお茶とサンドイッチが出されました。挙式代は1,000円。

「栄」を明るく照らす「光」となれ

焼け野原だった栄に、天を突くような銀の塔が現れ、多くの人々を勇気づけた名古屋テレビ塔。その戦後復興のシンボルは、時を経て、次は街の再生を握る「栄光」―つまりテレビ塔の合言葉“栄に光を”―のシンボルになろうとしています。

リニューアルした名古屋テレビ塔には、以前より3倍解像度が高くなった屋外サイネージと、1670万色のフルカラーLED照明が採用されました。名古屋テレビ塔株式会社の大澤和宏社長によると、これらは国内の数あるタワーにはない特徴で、これからはパリのエッフェル塔のように、新しい表現にも挑戦できるのだとか。

再びにぎやかさを取り戻した栄の夜に、鮮やかに浮かび上がります。
挑戦の歴史を刻んできた名古屋テレビ塔は、つねに名古屋人の誇りであり続けています。
平成元年ライトアップスタート
平成元年ライトアップスタート
2020年リニューアルオープン
2020年リニューアルオープン

<名古屋テレビ塔は歴史を伝えるミュージアム>

名古屋のシンボルとして歴史を刻み、国の登録有形文化財にも認定された名古屋テレビ塔は、新しさだけでなく歴史を伝える博物館としての側面も担っています。
◆1F

おしゃれなスペースの中に、解体された基礎コンクリートや鉄骨、配電盤などが自然に溶け合っています。

名古屋テレビ塔

おしゃれなスペースの中に、解体された基礎コンクリートや鉄骨、配電盤などが自然に溶け合っています。

◆エレベーター

展望台行きのエレベーターの2基のうち1基(右側)は、昭和40年代に設置されたもの。ドアは二重扉、手動で開閉するためレバーもついています。エレベーターから街が展望できるように、電車と同じトロリー式が採用され、今なお現役で稼働しています。

名古屋テレビ塔

展望台行きのエレベーターの2基のうち1基(右側)は、昭和40年代に設置されたもの。ドアは二重扉、手動で開閉するためレバーもついています。エレベーターから街が展望できるように、電車と同じトロリー式が採用され、今なお現役で稼働しています。

◆スカイデッキ

鉄骨構造や電波塔時代にパラボラアンテナを設置していた土台や骨組みなども間近に見られます。

名古屋テレビ塔

鉄骨構造や電波塔時代にパラボラアンテナを設置していた土台や骨組みなども間近に見られます。

<ここでしか買えないお土産は「多仲」で>

定番の名古屋みやげはもちろん、マスコットキャラクター「ウエミーヤ」グッズなど名古屋テレビ塔のオリジナル商品も多数取り揃えています。

<ここでしか買えないお土産は「多仲」で>

定番の名古屋みやげはもちろん、マスコットキャラクター「ウエミーヤ」グッズなど名古屋テレビ塔のオリジナル商品も多数取り揃えています。

多仲
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中部電力 MIRAI TOWER

中部電力 MIRAI TOWER

中部電力 MIRAI TOWERは昭和29(1954)年に日本で最初の集約電波塔として建設された観光タワー。開業以来初となる全体改修工事を経て、2020年9月18日にグランドオープン!2022年12月に、全国のタワーとしては初となる国の重要文化財に指定されました。
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